事例1

決断が遅れたことによる状況悪化から再建再生に転じたケース

<自分自身の家業承継と倒産>

私の家系は明治時代から岡山で製紙業及び紙販売店を営む紙一族でした。

父は東京に出て、岡山の東京総販売店を営みつつ江戸川区と市川市で製紙業並びに墨田区、野田市、蕨市で製函業を興しました。

私は大学卒業と共に、本州製紙(株)(現:王子製紙(株))の子会社北見パルプ(株)=北海道=)に入社、3年後父創業の市川製紙株式会社に戻ったときは、既に公害問題による設備投資等で財務内容が悪化、更に中小企業の宿命でしょうか?技術革新に乗遅れていました。更に主要工場が市川市「下総中山」駅近くという好立地であったため、建築基準法上の用途地域が工業系から住居系に線引き変更され、公害規制が強化されるという問題山積の状況のさなかでした。

それでも父は紙への執着から、岡山県の某銀行の紹介で津山という場所に休眠中の津山製紙株式会社を買収し工場移転を決断しました。

実力を超えたこの無理な移転が大きな引き金となり昭和52年倒産し、それを境に私たちの生活環境も一変しました。

 

1. 津山製紙は倒産直前に生き残りを賭け市川製紙の資産を移管させるため市川製紙を吸収合併させ生き残りを図かりましたが、力およばず総負債額55億円で倒産しました。

倒産後は和議法(現::民事再生法)を経て任意整理すると共に、倒産の三年後に、主要一般債権者からの出資と経営参加による第二会社大成製紙株式会社を新設、根抵当権者から銀行債務の棚上げ同意を取り付け、津山製紙の一切の設備の賃借方式により再建、操業再開を図りました。

しかし、関係者多数のため方針が定まらず、経営責任の所在が不明確になる等、更に赤字を上乗せする結果となり設立後6年で、大成製紙を「大王製紙株式会社」に法人譲渡すると同時に津山製紙の工場土地建物および設備の全部を譲渡しました。

今考えますと随分ややこしいことを行なったものだと思いますが、紙業界の環境、紙に執着する経営者個々の考え方、従業員の雇用喪失問題、主要一般債権者の意向等、難問が交錯しあう中考えに考え貫いた末の、当時は最善の策であったと尾も思っています。

私の実務は、倒産前においては市川製紙と津山製紙の合併作業、合併に伴う税対策、銀行間の調整と折衝、市川製紙の従業員解雇、そして工場以外の会社及び個人所有の担保付不動産の任意売却等々、正に岡山と東京を行き来し、資金繰りと銀行折衝等という時間との戦いでした。

また倒産後においては、まずよからぬ債権者と称する会社整理屋さんの排除に始まり、複数の一般債権者個々に対するお詫び行脚、そして次には弁済源資の確保のため、残存する工場以外の会社及び個人所有の不動産の任意売却、並びに製品、原材料等の流動資産の売却、そしてある配当率を立て、債権者集会で同意を取り付け、その弁済と不渡り手形回収で一般債権者の理解を得て問題を解決させました。

大成製紙社においては非常勤取締役でしたが、最後の法人譲渡の折、経営者が変わるころに対し従業員が抱く不安に乗じて、他の会社がある思惑で労働組合を裏でコントロールし、更に一取締役が加担し商法の会社整理という法的手段を講じられるという予期せぬ出来事がおきました。

これを放置すると破産に移行するため私は急行しましたが、拗れた労使関係のなかで全従業員に対する説明を拒否されたため一軒一軒自宅訪問という方法で正しい情報を提供し説得する一方で、加担した取締役を解任、労働組合の分裂、一旦は腰の引けた当該引受先会社との逐次折衝、これらを平行的に行いつつこの法人譲渡を短期に解決させました。

 

2. 市川紙業株式会社は東京都江戸川区にあり市川製紙の子会社として段ボール製造を業にしていましたが、津山製紙倒産後、市川製紙の従業員雇用対策と私自身の職対策で、私が紙器印刷製造業に転換させ再興しました。

建物設備の全てを賃借、リース、割賦という厳しい資金条件下、ただひたすら働き工賃を稼ぐという自転車操業でした。

菓子箱、KFCフライドキン、ポテトの箱、化粧品箱等を凸版印刷、大日本印刷、本州製紙等の下請けとしてただ作り続けましたが、再興して9年目の昭和60年グリコ森永事件で大幅受注減という痛手を被り、私は咄嗟の判断で会社の自己破産を申し立てました。

 

3. しかし現実は連帯保証債務が存在し、津山製紙関係については寂しいことでしたが父死亡時に限定相続(:限定承認)で処理、市川紙業の私の保証債務については債権者との任意の話合いで、減額と延べ払い、数%での一括弁済による残債免除、または調整に応じてくれない債権者には家財を差押執行させそれを買戻ししたりして解決させました。

その他、色々なトラブルが多々ありましたが、最初の倒産から13年目の平成元年5月、これら全部を終結させることができました。

正に寝る暇もない疲れる長い長い歳月でした。

以来、紙業界に区切りをつけ、6年間のサラリーマン生活を経て、これら過去の試練を生かしたいと考え不動産業に転身、債務者側に立った任意売却を手掛けていました。しかし事業再生研究会に出合い依頼者のトータル的再生に取組んでいます。

 

「所見」

私の場合、これらの経緯はバブル前の出来事で、当時の銀行の姿勢は競売などの法的手段を自らが積極的に申し立てることは少なかったように感じます。また背景となる社会情勢、特に労使関係も今と大きく異なっていました。

現在、任意売却並びに任意整理を業として債務者さんのサポートで(根)抵当権者と度々折衝する機会がありますが、銀行等の対応は以前と大きく異なっていることを実感いたします。

つまり相手方の金融機関も債務者と同様、バブルによる担保価値の下落により債権の不良化をきたし損切りで債務過多になる一方、国の方針等によりそれが任意売却であろうと競売であろうと不良担保資産の処理を急がざるを得ない状況にあります。

この責任の所在はどこにあるのでしょうか。債務者にはバブルに踊ったことの責任がありますが、バブルを起こした国には、その失策の責任、また銀行等の押し貸しといっても過言でない貸しまくりという大きな責任があります。それらの公的機関の責任の所在は曖昧のままです。

従って多く債務者の責任意識は当時と比べることすらできないほど様変わりしていることを感じます。

事例2

親子・親族間売買の成立によって難を逃れたケース

弁護士からの依頼で、紹介顧客の親子間売買による買戻しを成立させました。

ご病気で入退院を繰り返されている父親(債務者)の状況を心配された遠方在住のご長男が実家の買取りに立上がったことがポイントとなりました。

父親は食品系企業の経営者で次男が後を継がれていたが、中国餃子事件等に翻弄されて倒産し、その借入れ担保は本社事務所・工場・自宅でした。

この自宅に設定された根抵当権を抹消除去した上で、同時に所有権を長男に移転する提案と実行を行いました。

根抵当権は、順位1 信用金庫、順位2 県保証協会、順位3 中金という構成で、それぞれの被担保債権額と想定の売買金額から見て順位1 信用金庫完済し、信用金庫の代位弁済した順位2 県保証協会がキーポイントでした。

また順位3 中金は抹消料(判付き料)の金額がポイントでした。

問題は、売買金額をどうするかでした。ご長男の予算と調査した周辺の取引事例価格等をもとに○○百万円と定め、キーポイントとなる順位2保証協会と交渉を重ねたところ、多少の金額の意見相違がありましたが最終的に妥当価格とお墨付きをもらい了解点に達し、更に順位3 中金との交渉でも言い値の半分で順位2と順位3の了解が得られ、先日無事に決済しました。

今回のケースは、

①長男が独立していて父親の債務に関わっていなかったこと

②買戻しに長男の意思がハッキリしていたこと

③自己資金であったこと

④私参入前に地元業者によってある程度価格面で揉まれていた関係で、私が示した売買金額に客観性があったこと

等の要件が整っていたのが幸いし、おおよそ1ヶ月の短期でまとめることができました。

そして、買戻しについては下記の通りです。

 

◆買戻しとは

現実問題として、債務者ご本人やその連帯保証人の名義を残すことはできません。

何故ならこのような場面で通常、当該不動産には価値を超える抵当権等が設定されているため売却後残債が残る上に、債務者(所有者)に他の無担保債権があることがほとんどのため、仮に債務者名義を残せば再度差押え等の餌食となり問題を更に複雑化させてしまうからです。

つまり買戻しとは「親族等のなかで安全で無傷の方へ譲渡する」こと、言い換えれば債務者名義を消し所有権を安全地帯に移動することを言います。

方法としては、2つあります。

①所有移転方式:親族等に適正価格で売却した形で抵当権等を除去抹消し、同時に「所有権移転する任意売却の方法」

②債権譲渡方式:「抵当債権を譲渡させる方法」 

つまり謄本記載の債務者名義をそのまま残して抵当権者である金融機関から安全な個人又は法人に適正価格で譲渡してもらい過大な抵当権を付けたまま凍結することを言います。

しかし銀行等はほとんどの場合、入札方式でサービサー(債権回収会社)には売却しますが、関係者が直接買取ることは銀行の立場上不可能に近いと考えます。従って既に銀行等からサービサー(債権回収会社)に債権譲渡されている場合のみ有効だと考えます。

上記②については債務免除益という課税問題が生じる場合で一般的ではないので、ここでは割愛し①についてのみ詳細説明します。

では、どのような要件が整えば可能なのでしょうか。

 

①買人を誰にするか?

無傷で安心できる方、更にある一定の資金力のある方を定める。最適な方がいるかどうかが成否の鍵を握ります。親・子・娘婿・叔父・叔母等の親族が一般的です。

不動産によりますが受け皿として法人を新設したり又は債務と無関係の既存法人を利用したりすることもあります。しかしこれは不動産の種類や債務の状況や内容によります。

 

②新たな買取り資金の借入れ

買人となる親族が売買代金の全部を自己資金で賄えられる方であれば何も問題がありませんが、なかなか思い通りには行かないのが世の常です。また全額融資する金融機関は皆無ですので、ある一定(20~30%)の自己資金がどうしても必要です。

融資を受けるとなると種々制約があります。例えば住宅ローンの場合は当人の居住が条件となりますので立地的に買人が同居できるかどうか等の問題があります。(もっとも建前上のストーリーが成立するなら可かも?)

更に現在ほとんどの銀行等は親族間売買を融資の対象としないので、ノンバンクを頼らざるを得えないのがほとんどです。つまり金利面に難点があります。

 

③抵当権者等が納得するであろう売買価格をどう決めるか

買戻す当人からすれば安価でありたいと考えるのは当然です。しかし抵当権者から見れば損切りを覚悟しているものの最大回収を図りたいという立場です。買戻すなら市場より高ければと嫌がらせをいう抵当権者もいます。

しかし基本は時価です。周辺の取引事例価格・公示価格・基準値価格から算出や推定して価格を出します。もちろん抵当権者としても鑑定評価してますので、それを覆すにはどうしても客観性のある根拠(裏付け)が必要なのです。後は交渉のなかでの探り合いだと思っています。

また相手がサービサーの場合は、彼らの仕入価格から見た損得勘定ですので、銀行等と異なりスムーズに動くことが多々あります。

以上ですが、買受する方の資金力・抵当権者の現状とタイミング(計上済みの貸倒引当金の額、決算期の前か後か等)・被担保債権額の構成・不動産の内容や場所立地など、個々に異なりますので一概に申せませんが、買戻しのお気持があればチャレンジすべきだと考えます。よろしければ、喜んでお手伝いさせて頂きます。

                          

※付記:自宅を守る別の手法としては民事再生法(個人版)という制度があります。直面されている方は知っておいてください。また要件が整うならば法人は破産、連帯保証人の個人は自宅を守る目的で民事再生ということも考えられます。これらは弁護士の範疇ですので、希望があれば専門弁護士ご紹介いたします。

事例3

追い込まれた状況における親子間売買の成功例

本件は債務不履行から自宅の競売が開始されたことをきっかけに、連絡ををしてくださった方からの依頼でした。

この方は官公庁勤務を経て定年し、税理士事務所を長く開業されていました。

その後、80才を迎えるにあたり事業譲渡をされましたが、事務所は複数の税理士と職員を有するビル複数階に跨る規模のテナントだったため、賃貸借契約解約に伴う原状回復費用が多額となる一方、既に後任税理士に顧客を譲ってしまっていた関係で収入はこじんまりとしており、致し方なくひとまずは自宅を担保にノンバンクから借入れを行いました。

当然、他の金融機関に比べ金利が高く大きな支出は負担となりました。

 

そこで、少しでも個人の生活を圧迫しないように親子間売買を提案しました。

依頼者には同居の娘さんがおられ、新卒で入社した大手企業に勤務していました。

娘さんは勤続経験も長く収入が安定しており、父親の仕事や借入に関っていなかったことを好材料と捉え、娘さんを契約者として新たな住宅ローンを組み父親の借入分を完済し、同時に自宅の所有権を娘さんに移転する方法を提案しました。

しかしこのような親の債務を子に変更する住宅ローン契約は金融機関から敬遠されることがほとんどで、メガバンク、地銀、信金と住宅金融公庫(フラット35)はなかなか対応してくれません。

そこで選択肢の一つとなるのが、ノンバンクの住宅ローン利用です。

ただし、特徴でもある高金利を長期に支払いし続けることはとても大きな負担となるためいち早く回避しなければならず、近い将来にメガバンク等の低金利住宅ローンに借り換えすることを前提に、娘さんとノンバンクとで住宅ローン契約を締結し、所有権移転を完了させました。

今回は、すでに競売開始決定がされている状況で早急に事態を収拾する必要がありましたが、経験に基づく現実的な提案をさせて頂き、依頼者の方が早い決断と行動をされたことが何よりも競売回避の結果に繋がった事案でした。

事例集4

早期決断による任意売却で手元資金を確保できたケース

以前からの友人社長からの依頼です。

この方はいくつかの会社を有する会社経営者でしたが、取引先からの未払いをきっかけに、地銀、信金、ノンバンク等からの複数の借入金返済がすでに滞っている状況でした。

ただご自宅については、小さなお子さんを含めてご家族の愛着が強く自宅だけは守りたいという想いで、住宅ローンの返済だけは遅れることなく支払いを続けていました。

またその時点では信金での住宅ローンの抵当権設定のみで、他の債権者の差押はなされていませんでした。

しかしこれまでの事例や経験から、いつ差押えがあってもおかしくない厳しい状況にあると判断し、自宅を諦め急ぎ売却されることを提案し説得しました。

幸いなことにこちらのご自宅は高級住宅地にあり、住宅ローン残額以上の金額で売却が可能と見込めましたので、差押が入る前に売却してご家族や生活のための手元資金を残されることをお勧めしたわけです。

一方、住宅ローン以外の借入れについては、自宅売却後もずっと背負わざるを得ないことを説明し、またその対処方法も説明させて頂きました。

 

このように、借入れによる債権者の差押が先か売却が先か、正に勝負の懸かった競争でしたが、立地が良く駅が近いこともあってすぐに地元不動産業者を通して、数年前よりこちらのエリアで一戸建住宅を探されていた都内在住・大手企業勤務のご家族から申込みがあり契約がなされ、手元資金を確保するとの当初の目的を達成することができました。

今回は何よりも、依頼者の決断が早かったことで僅差の勝負に勝つことができ、手元にお金を残すことに成功できたと思っています。

やはり自宅を手放すという選択肢は苦渋の決断ですが、特に将来のあるお子さんへの教育費や再起にかける費用などは想像以上に必要となります。

ご本人の債務が原因ではあるものの、自宅を失ってもご家族を失わないために、私は友人として粘り強く今回の提案をさせて頂きました。